川崎の大量殺傷事件について
こんにちは。
皆さん報道でご存知の通り、川崎で大変悲しい事件が起こってしまいました。
今回はこの川崎の事件について言及させていただきます。
5ちゃんねるで多い意見として、「死にたいなら一人で死ね。」「小学生がかわいそう。」というのが多かったです。でも、そんなこと言ってなんか意味があるんですかね。
今から死ぬという決意をした人がそんなこと言われても大きなお世話でしょう。
もちろん、わたしは事件に巻き込まれた人のことがどうでもいいと思っているということではありません。
重要なのは、このような悲惨な事件を再び起こさないように我々はどのような努力をする必要があるのかということです。
それで、「死にたいなら一人で死ね。」とか言うことは事件の再発防止にはなんの役にもたたないと言っているのです。
犯人はすでに死んでいるので、動機がわからず、警察の捜査、マスコミの取材で真相解明を待つしかありませんが、事件の背景として経済的な問題があるのではないかと言われております。
格差問題の指摘はそれなりの説得力があります。
世の中の大抵の不満はお金で解決可能だからです。
もちろん、ただお金をばらまけばそれでいいということではありません。
ちゃんと人並みの幸せをつかめるような給料がもらえる仕事が必要だってことです。
犯人は五十代で勤務先の情報もでていないので、おそらく無職であったのではないかと思われます。いままでなんとか食いつないできたが、五十代になっていよいよ仕事がなくなってきたという人間像が浮かびます。
犯人には、社会への不満を打ち明けるような仲間もいなかったでしょうし、娯楽や飲食などでうさをはらすこともできなかったのでしょう。
犯罪には経済的に困窮した人が仕方なくしているケースが多いと言われております。
五十代で何もかもがうまくいかない、貯金も希望もなにもなかったということなんではないでしょうかね。
それでいきついたのが大量殺傷事件ということなんではないかと思います。
こういう人は他にもたくさんいますが、他人に迷惑をかけてはいけないという教育を受けて、一人で自殺してしまうということも多いわけです。
そういう状況を招いてしまったのは、なんの努力もしてこなかった自己責任だという意見も多いですね。
でも、ここで言いたいのは、なんでもかんでも自己責任で解決できるのなら、政府なんていらないでしょうってことです。
政府の役割として、生活に困窮している人たちに対する適切なケアが必要なんではないかと思います。
あと、社会に不満をもっている人たちの気持ちに共感することも大切ですね。
無差別テロをなくしていく取り組みとして、格差問題の解決、社会的不満の解消というのが必要なんではないかと思います。